2015年08月12日

戦後70年日本の強み ― 安全・正確で清廉な国日本

<ポイント>

○日本の犯罪・事故の少なさは世界で突出

○時間の正確さも諸外国に比べすさまじい

○バブル崩壊以来の日本は安全追求に偏る


70年」は、人生でも歴史でも長い期間である。

明治維新から太平洋戦争まで、アメリカの南北戦争から大恐慌まで、

あるいは普仏戦争から第2次世界大戦までに匹敵する。

到底「戦後」の一言では終わらせられない。

 第2次世界大戦で敗北した日本は倫理観の変更を強いられた。

戦争前「明治日本」の倫理は「忠君愛国、勤勉孝心」だったが、

戦後は「効率と平等と安全」になった。

 終戦から40年、1980年代までは経済的効率こそ最大の正義だった。

戦争で「アメリカの物量に負けた」という思いが、物量の豊かな国を目指して

経済主義に邁進させたのである。

ところが80年代に入ると日本は、

1人当たり国民総生産世界一、貿易黒字世界一、所得格差の少ない一億総中流

の「経済三冠王」といわれるようになり、

経済効率の追求は国民目標としての輝きを失ってしまう。

これに代わって倫理の第一に浮揚したのが「安全」である。

 以来25年、日本は「安全」を追求し、いま「世界一安全な国」を実現した。

現在の日本は、どこよりも「安心で安全で清潔で正確な国(社会)」である。


 同時に、この「安全な国」を保つ方法の行き過ぎにも用心を怠ってはならない。

いかなる社会の特質にも行き過ぎは危険である。

 2013年末、日本で刑務所に収容されている人は、有罪未決を含めて約6万3000人である。

ではアメリカは何人か。何と224万人、日本の35倍、人口当たりでみても14倍にもなる。

 世界の中でアメリカに次いで刑務所収容者の多いのはロシア、人口当たりで日本の9.6倍だ。

以下タイ、イラン、ブラジルと続く。治安の良いとされるイギリスでも3倍、フランス、韓国は2倍。

日本は犯罪の少ない国である。

 新聞やテレビは連日のように凶悪な殺人事件を報じているが、12年の殺人事件は1032件、

人口10万人当たり0.8件にすぎない。アメリカでは4.7件、フランス3.1件、ドイツ2.6件である。

 日本の犯罪の少なさは殺人や強盗などの凶悪犯だけではない。

窃盗でも日本は人口10万人当たり831件(総発生件数104万件)だが、欧米諸国はその3倍以上である。

しかも日本の場合、ほとんどが路上での自転車泥棒や店頭での万引きで、家屋への侵入犯はごく少ない。

居住者に恐怖感を与える侵入犯が少ないことも、日本の安心感を強めている。

 日本はまた、事故の少ない「安全な国」である。現代社会で最も多くの人命を奪っているのは交通事故だ。

14年の交通事故死者数は4113人、人口当たりでも車両保有台数当たりでも世界最少の部類だ。

 日本でも「交通戦争」といわれた1970年ごろには年間1万6000人以上が交通事故で死亡していた。

だがその後、運転技能の向上や車両の改善、道路の整備などで年々減少。

80年代末から90年代初頭のバブル景気の頃には一時増えたが、21世紀に入ってからは急速に減少している。

 ちなみにいえば、交通事故死者の多いのは東南アジア諸国で、タイが人口10万人当たり38人、

マレーシア、ベトナムが25人となっている。中国とロシアは20人、韓国は14人、アメリカは11人である。

 交通事故以外の事故死も90年ごろから劇的に減っている。

特に労務作業中の事故死や雑踏による死者は諸外国に比べて少ない。

 もう一つの現在の日本のすごさは時間の正確さ。国会の委員会や閣議に数分遅れて問題になった議員もいたが、

今やこの国の時間的正確さはすさまじい。交通機関の出発到着から商店の開店閉店、

行事やイベントの開始まで時間を違えることがない。

特に東海道・山陽新幹線は15秒ごとに時間管理が行われ、1分以上の遅延は事故扱いだという。

 日本でも1980年ごろまでは、会合や行事の始まりが20分程度遅れるのはよくあった。

だが、今はほとんどの会合は分単位で正確に行われる。諸外国では航空便や自動車便はもちろん、

鉄道でも遅延はしょっちゅう、時には従業員のストライキで便が取り消されることも珍しくない。

海外旅行や海外勤務で交通機関の遅延で乗継便に乗り損ねたり、行事に遅れたりした経験はどなたもお持ちだろう。

 日本社会の時間的正確さが経済的に何兆円に価するのかを弾き出した計算は、まだ見当たらない。

恐らくそれは交通機関の遅延で諦めた所用や観光の無念、代わりの商品やサービスで間に合わせた辛抱、

待ちぼうけのイライラした時間の代価の累積になるだろう。

そしてその無念や辛抱、待ちぼうけのいら立ちの評価もまた、それぞれの社会的習慣と個人的性格によって異なる。

 「正確な国・日本」に慣れた若者から「辛抱の習慣」が失われるのも心配である。

 もう一つ、日本の誇るべき美点は、汚職の少ない「清潔な国」ということである。

 14年中に汚職(贈収賄や権力乱用等)で逮捕された人は56人。

それもみな「入札情報を漏らしてキャリーバッグをもらった」というような微罪である。

 これに比べて中国では、汚職容疑で逮捕される者が年間5万人超、

しかも他人の耕作用地を開発業者に売り渡したとか、自己出資の企業に専売権を与えたとか

数百億円規模の話がたくさんある。習近平指導部が「大虎もハエも退治する」と張り切るのもうなずける。

 日本でも終戦直後の1949年ごろには汚職で逮捕される者が8000人もいた。

ロッキード事件が起きた7273年でも1000人以上だった。

当時は「現金と女性にさえ手を出さねばとがめられることはない」といわれ、

クラブや料亭は社用族で満ちていた。それがなくなったのは平成になってからである。

 しかし世界は今も汚職で満ちている。私たちは「清潔な国・日本」を保ちつつ

汚職の渦巻く世界とも付き合っていかねばならないのだ。

 現在の日本は、「安心で安全で正確で清潔な国」だ。

だがそれだけを追求するのであれば監獄に入ればよい。衣食は必ず提供されるし、

住居は頑丈、医療もほどよく見てくれる。

それでも監獄に入りたい人はいない。

幸福を追求する自由な楽しみと起業成功の可能性が無いからである。

 バブル景気の崩壊以来、日本の倫理は安全の追求に偏ってきた。

これからは楽しみの追求や野望の実現と、安全とをいかに均衡させるかを考えるべきだろう。

posted by KEIMO at 13:20| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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